このブログをお読みの皆様、
私のブログを読んでいただきまして、有難うございました。
イイネ!を10以上もいただいたことには、感謝してもしきれないです。
(思ったよりもコメントはだいぶ少なかったですが………)
大晦日は、私の母方の祖母の祥月命日である、
1998年12月31日のことなので、今から17年も前のことである。
私は従兄弟とも話しているが、
従兄弟動詞の間では「いまだに信じられない」という認識で一致している。
というのは、従兄弟にも母方の祖母の様子が知らされていなかったのか、
「祖母の死は突然死のようなものではないか」と認識されているからだ。
私にとっては、その翌年から
自分自身の勉強不足や研究不足等もあり、
最初の大学院を満期退学せざるを得なくなり、
なかなか就職できないという受難に陥ってしまった。
その点でも、私にとっては分岐点となる年であった。
結局、私は就職等はうまくいかなかったが、
それが良い方向になってきたのは2007年の後半から。
母方の祖母が故人となってから約9年の歳月が流れ、
2006年6月30日には、父も亡くすという不幸に見舞われた。
母方の祖母も含めて、自分の親だけでなく、
祖父母への感謝と言うのも忘れてはならないと思う。
改めて、そんなことを感じている。
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私のブログを読んでいただきまして、有難うございました。
イイネ!を10以上もいただいたことには、感謝してもしきれないです。
(思ったよりもコメントはだいぶ少なかったですが………)
大晦日は、私の母方の祖母の祥月命日である、
1998年12月31日のことなので、今から17年も前のことである。
私は従兄弟とも話しているが、
従兄弟動詞の間では「いまだに信じられない」という認識で一致している。
というのは、従兄弟にも母方の祖母の様子が知らされていなかったのか、
「祖母の死は突然死のようなものではないか」と認識されているからだ。
私にとっては、その翌年から
自分自身の勉強不足や研究不足等もあり、
最初の大学院を満期退学せざるを得なくなり、
なかなか就職できないという受難に陥ってしまった。
その点でも、私にとっては分岐点となる年であった。
結局、私は就職等はうまくいかなかったが、
それが良い方向になってきたのは2007年の後半から。
母方の祖母が故人となってから約9年の歳月が流れ、
2006年6月30日には、父も亡くすという不幸に見舞われた。
母方の祖母も含めて、自分の親だけでなく、
祖父母への感謝と言うのも忘れてはならないと思う。
改めて、そんなことを感じている。
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