From Sapporo -道産子のブログ-

2018年03月

2018年2月21日に受験した、
第81回リテールマーケティング(販売士)検定試験3級
に合格した。
実は、この試験、私が大学生だった23年前の夏にも受験しており、
今回は2度目の挑戦。
23年越しのリベンジに成功したが、
大学時代に経営学を学んだ以上、
3級試験は合格してなければ、恥ずかしい。

2018年は、2月18日に
簿記能力検定試験3級(全国経理教育協会)を受験し、
その3日後に第81回リテールマーケティング(販売士)検定試験3級
立て続けに試験が続いたため、高得点は望めず、
5科目の平均を75点前後にするという
目標を立てざるを得なかった。
(かといって、5科目平均70点を目指していたら、
不合格になってしまう可能性もあった)
おそらく、最終的な点数は377点になったと思われる。
(最後の科目で2問しか間違わなかったのが
効いている)

ところで、札幌商工会議所では、
一部の商工会議所の試験を抜かして、
札幌商工会議所か札幌商工会議所付属専門学校に
合格者の番号が掲示される。
そんなわけで、今回は
敢えて見に行ってみた。
合格証書の交付はもう少し先になるが、
手続きを踏めば郵送もしてもらえるらしい。

なお、今回私は第81回リテールマーケティング(販売士)検定試験3級
受験するにあたり、成美堂出版のテキストと過去問題集,
及びTAC出版の過去問題集(合計過去10回分)を4回転、
上位級の2級の問題(合計過去8回分)を3回転して臨んだ。

ついでに言うと、この試験はいわゆる更新制である。
上位級を受験しない限り、更新料金を支払わなければならない。
(2018年の試験合格者は、2023年に更新)
ところが、その更新料は、受験料より高い。そんな事情から、
リテールマーケティング(販売士)検定試験2級クラスになると、
「更新日が近付くと、更新料を払わずに、
敢えて再受験に踏み切る」受験者もいるらしい。

晴れて第82回リテールマーケティング(販売士)検定試験2級
進むことができたが、2級試験の合格率が例年と比較すると
今回の合格率はかなり低い。
(札幌商工会議所でも、今回は40%を切っている。)

一体、どんな問題が出題されたのだろうか………。

今回は、タイトルの通り、
大相撲春場所の感想。

幕内優勝は、また、モンゴル勢に
優勝を持っていかれてしまった
いう印象がぬぐえない。
一方で、日本人力士は弱い、
という感想を持った。

さて、大相撲春場所では
先場所に続き、いわゆる場外記事が目立っていた。
そんな中、序の口力2名士のニュースが登場したのには、
驚きを隠せなかった。
(新聞記事も著作権に相当するので
誰のことかは言えない)
何故ならよほどのことが無い限り
十両以下の力士が話題になることなど、
皆無に等しいからだ。
多分、将来は、この2名が
角界の最高位に君臨することになるのであろう。

札幌の道立近代美術館で開催されている
棟方志功展 「わだば、ゴッホになる。」
を鑑賞してきた。

まるでナスカの地上絵を思わせるようなねぶた祭り
ヒマワリの絵など
に鑑賞した方が良い作品が多かった。
そして、棟方氏にはゴッホや宮沢賢治氏、ピカソなど
直接の交流はなくても、先輩を敬っている気持ちを
画にしている作品も幾つか存在していた。

また、棟方志功氏は、本来なら版画とすべきところを
わざわざ板画としており
板の画にかなりこだわっているようであった。

一方で、北大のポプラ並木など
説明を見ないと分からない油彩画もないわけではなかった。
ただ、北海道内の板画は、
ほぼ晩年に描いたものだったので、やむを得ないところは
あったようにも思う。

最後にもう一言。
棟方志功氏の板画油彩画は、
ゴッホより、ピカソの絵画に類似していた。

冬季オリンピックに続いて、
平昌パラリンピックの感想。

オリンピックの時もそうだったが、
今回は感動する場面が多かった。

私は、諸事情により、ニュースや
朝9時30分からの特別番組で
見る形とはなったものの、
勇気を与えられたことは確かである。

ただ、放映権の問題は多少気になった。
もし、放映独占権があったとしても、
民放でも最低限、速報くらいは出しても
良いのではないか、と思ったのは
私だけではないはずである、

また、オリンピックの時と違って、
競技日程については、
ほぼ不満が無かったという点は
良かったように思う。

旅行が好きな方や、鉄道会社に勤務している方は
ご存じのことと思うが、2018年3月17日は
ダイヤ改正が行われる日である。

2~3日前にJRの列車名に関する話題が、
Yahoo!Japan
ニュースでトピックとして取り上げられていた。

著作権の関連で、どのような記事だったかは
省くこととするが、タイトルと関連のある記事だったということだけ
記しておく。

この記事を見て、JR北海道の列車名は
単純明快かで、分かりやすい
と思ったのは私だけだろうか。

もっとも、かつては何を指しているのか分かりにくい列車名も
ないわけではなかったが、
一部の快速列車については、
最後まで分からなかったものもある、
その列車名はアイリス号
旅行好きの私は、色々と調べてみたが、
日本語でもアイヌ語でも無いような感覚があったため、
調べるの難儀した覚えがある。

一方、函館本線経由で札幌と函館の間を
臨時列車として運行した、
ヌプリ号ワッカ号は、
アイリス号の反省からか、
わざわざパンフレットに意味まで記す徹底ぶりであった。

普段は列車名について、考えることなんてほぼ無かったが、
Yahoo!Japanの記事によって、
列車名を考えるきっかけとなったことに感謝したい、と思う。

3月13日は、1988(昭和63)年に
青函トンネルが開通した日
あると同時に、青函連絡船の最終運航日でもある。

今考えると、、青函連絡船
は粋なことをやったように思う。
本来なら、3月12日を最終運航日としてもいいはずなのに、
敢えて1日延長したからである。

そのため、当時の3月13日には、こんな乗客が相次いだらしい。
「函館または青森からの始発列車に乗車して、
帰りは青函連絡船に乗船する。」

また、あくまでも聞いた話であるが、
当時のテレビ局は、どこの局が
一番列車をいち早く映せるか、
ということを競っていたらしい。

私は、当時中学校卒業を控えていて、
また高校入学の準備もあったため、
開通日には間に合わなかったが、2~3週間後には、
今は亡き父とともに青函トンネルを見ることができた。

ただ、この当時は、
まさか片道10回以上に渡って、
青函トンネル
を利用することになるとは思わなかった。

月日が経つのは早いもので、
東日本大震災
福島原発事故
から7年の月日が経過した。

私は、今も健在の母と原発事故や大震災を巡って、
マスコミの在り方について、議論になる。
私は、マスコミは「中立性を保つこと」だと考えており、
本来であれば、左派にも右派にもなってはいけないはずだ、
という気持ちが根強い。

それに対して、母は「マスコミは正しいことを伝えるもの」という
認識が強いらしい。

どちらが正解なのか、あるいはどちらも正解なのか、
私には分からない。

阪神大震災のt時と同じく、犠牲者に黙とうを捧げたいと思う。

私は、写真ですらあまり見たことがないが、母の叔母(母から見て父方)が
1945(昭和20)年3月10日の東京大空襲にて
命を落としたらしい。
母に聞いたところ、当時亀戸に住んでいたとのこと。
私はてっきり、東京大空襲は、
現在の千代田区と中央区で大多数の死傷者を出したのかと思ったが、
状況を判断すると、東京の外れも被害を受けた、
ということになる。

私の中学校時代や高校時代の社会の講師は、
空襲で爆撃を繰り返し、挙句の果てには
広島と長崎に原爆を投下したアメリカについて、
「原爆を落としたのは確かに悪いが、
これからは、アメリカと手を組んで、
仲良くやっていかなければならないだろう」
という認識を持っている先生が多かった。
もし、アメリカと仲良くしなければ、
日本を守ってくれる国はない、と考えていたのかもしれない。

一方、当時のソ連については、
日ソ不可侵条約を破って
北方領土を不当に占拠した悪い国

という認識を持っていて、
ソ連(現:ロシア)憎しの発言が
あちこちで飛び交っていた。
しかもそれは、社会の先生だけに留まらなかった。

私は、このような教育を受けてきたため、
B29で日本を爆撃していたアメリカに対して、
「憎い」という勘定は1ミリもない。
一方、ロシアに対しては、
憎くはないものの、『反露』感情が消えていない。

今の時代、若者を中心に、
中国や韓国を嫌っている人が多いが、
これらの国々が領土問題で譲らない点を見ると、
ロシアが裏で糸を引いている気さえしてしまうのである、

今月は資格試験を入れていないので、
私の好きな旅行関連の記事を中心に進めていく。

3月7日は、どうやら青函連絡船
運航を開始した日(就航記念日)らしい。(明治41年)
ただ、当時の所要時間は、昔の時刻表によると、
6時間だったらしい。

同じ年に、所要時間が2時間短縮され、
最終的には、ほぼ3時間50分で統一されていた。

青函連絡船
色々な思い出があるはずなのだが、
私が中学校を卒業したのがちょうど30年前ということもあり、
当時のことはほとんど覚えていない。

ただ、かつての函館桟橋の付近に、メモリアルシップ摩周丸
が鎮座していることから、それを見ると、
当時のことが走馬灯のように蘇ってくる、ということはある。

2018年になって初の、旅行関連のテーマ記事である。

JR西日本の三江線
廃止の日が刻一刻近づいている。

北海道からは流石に費用がかかるので、
よほどのことが無い限り、あるいは急用が無い限り、
乗車することはかなり難しい。
(第一、そこまでの給与をいただいていない)

ただ、多くの赤字路線を抱えながらも
JR西日本は臨時列車の走行を考えただけ、
乗客への配慮があった
とも言える。

今困難な状況に陥っているJR北海道も、
廃止間近の路線では、臨時列車を運転するか、
列車の車両数を増やして対応するなどして
乗客に対応してきた。

今後はJR北海道や、JR四国、JR九州の路線だけでなく、
今回の三江線
廃止をきっかけに、JR東日本やJR東海も
赤字路線の第三セクター転換か、バス路線転換を
計画してくることが予測される。
(驚かないでほしいが、私が狛江市に住んでいた
20年以上前から八高線だけは、
廃止の噂が広まっていた)

なお、夕張支線には、
機会があれば、乗車する予定。

平昌オリンピックに出場した某チームの
北海道弁が話題となっている。
だが、私は札幌生まれの札幌育ちで、、
本源に関しても陸言葉で話していたため、
この言葉は、初耳だった。

だが、某ラジオ局のパーソナリティーですら、
この言葉を真似していたので、
しばらくの間、流行ると思われる。

また、今回の場合は好意的に捉えられたが、
女性陣でも「だべさ」や「だべや」を平気で使用する方がおり、
人によっては、きついと感じることもあるらしい。
なので、方言の使用頻度も
その語によって人それぞれである。

ちなみに数多くある北海道弁の中でも
私が圧倒的に使用するのは、
手袋をはく
内地である。

実は、私の父方の叔母が函館に住んでいるので、
ちょくちょくと函館に行くのだが、函館の場合は、
もろに東北の影響を受けており、
イントネーションからして、ほぼ津軽弁である。
木古内や松前、江差の方に行くと、
その傾向が強くなるとか………。
ただ、叔母達は三重県の出身で、
関西弁に近い方言を話していたため、
東北のアクセントには、未だに慣れないらしい。
かく言う私は、叔母達から、イントネーションを指摘されたことはない。
だが、亡き父からは、「それ、北海道弁ではないか?」と
何度か言われたことがある。

一方、私の母は、私と同じく札幌生まれの札幌育ち。
母だけでなく、私自身にも言えることだが、
多くの道民は、「北海道弁を喋っている」という認識がない。
誰かから指摘されたり、テレビ屋ラジオなどで
北海道弁だと言われて、初めて気づくのである。

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