From Sapporo -道産子のブログ-

2018年04月

日高晤郎ショー フォーエバー
この番組が始まって3回目の放送で、
初めてほぼ通しでこの放送を聞くことができた。
ちなみに、本日の放送は約6時間。

今回の放送を聞いて改めて思ったのは、
2018年に入ってからラジオ放送を
欠席した日があったとは言えども、
2017年の3月までは、
ほぼ毎週土曜日、毎週9時間に渡って
ラジオ放送を続けた日高さんには
頭が上がらない。
(2017年度は前期は野球中継等で、5~6時間
後期のみ9時間担当していた)

放送内容は、日高晤郎ショー
の時とあまり変わらないが、変わったな、と思うのは、
日高晤郎さんの曲が流れることである。

ちなみに、、日高さんの曲ではないが、
本日の選曲には「ナンジャソリャ!?」というものもあった。
(詳細はHPを参考にしていただきたいが、
ブログ上では、書くのがためらわれる曲である。)

また、追悼番組をきっかけに、
日高さんの「語り」も流れる場合がある。
本日聞いた「語り」は、圧巻であった。
多少早い口調になっても、人に聞き取れる速度で、
しかも一言の間違いもなく、術を磨き上げる
私も思わず聞き惚れてしまうほどだった。

ブログが長くなったので、感想はここまで、

4月24日のニュースで、衣笠祥雄さんが
旅立たれたことを知った、
私は、プロ野球というスポーツがあることを知ったのが、
昭和62年(中学校3年生頃)だったので、
衣笠祥雄氏の現役時代を知らない。
むしろ解説者として印象が強かった。
また、衣笠祥雄氏は声に特徴があったので、
声を聞いただけで、誰の声だか分かってしまうような
場面もあった、

2018年に入ってから、
元プロ野球選手の訃報は2人目、
4カ月の間に2日目の訃報を受けるとは………。

改めて、ご冥福をお祈り申し上げます。

ニュースで言われて気付いたが、4月25日は
福知山線脱線事故
が起きた日である。

2017年に起きた一歩間違えれば、
事故につながりかねなかった件といい、
JR西日本も矢面に立たされることが多いように感じるのは
私だけだろうか。

JRと言えば、JR北海道も乗客の犠牲者こそ出していないものの
批判にさらされている。
JR同士で連携を取ることによって、
列車事故の反省(教訓)を活かした上で、
事故が少なくなることを
心から望んでいる。

何故なら乗り鉄の私にとって
このような事故は、哀しさを植え付けてしまうからである。

改めて、ご遺族の方には、ご冥福お祈り申し上げます、
そして、負傷された皆様には、お見舞い申し上げます、
最後に、二度と戦後最大の事故と言われた
このような事故が起きないように心からお祈りいたします。

このブログでは、たまに取り上げる
出発ローカル線 聞き込み発見旅の感想。

この番組では、鬼怒川温泉や日光など、
栃木県北部を取り上げるとことはあっても
栃木県南部を取り上げることが少ないように感じていたので、
どんな旅になるのか少し楽しみでもあった。

まず、今回の女性ゲストが私にとっては、
聞いたことがない名前だった。
一方、男性ゲストは、どこかで聞き覚えがある声だな
ということだけは分かった。

今回の番組を見て思ったのは、
他のゲストと比較すると、
一部を抜かして旅が思いのほかスムーズに進んでおり、
こういうことは滅多にないことなのかな?とも思った。
ついでに、私自身は、最後の訪問先が
気になって、ついついネット上でも調べてしまった。
まさか、こんな有名な方がいらしたとは………。

そして、今はこのように旅ができているが、
いずれは、この鉄道も
廃止対象路線となってしまうような気がした。

なお、詳細はHPを参考にしていただきたい。
というのは、著作賢者の許可を得ていないため、
ブログ等で触れることができないからだ。

昨日、リテールマーケティング検定試験
合格証書とカードを取りに行ってきた。
試験日が2月21日だったので、
平成35年の2月を以て有効期限が切れるのかと思いきや、
平成35年3月31日まで有効らしい。

合格証書を取りに行ったついでに、
札幌商工会議所で無料配布している
2018年度 札幌商工会議所 検定ガイド
もついでにもらってきた、
そのガイドの表面には、
何故か平昌オリンピックで銅メダルを獲得した
カーリングチームの北海道弁が掲載されていた。

ガイドを見て分かったのは、
札幌商工会議所主催の検定のうち、
2種類の試験において受験日の変更が行われていた。
それは、札幌シティガイド検定試験
北海道フードマイスター試験(秋試験のみ)
であるが、前者は既に合格済みである。
後者の試験は、試験対策講座を受講しないと、
一発合格が難しい試験であるが、
その受講料が結構高い。
そして、資格を取得したとしても、
この試験もまた資格の更新が義務付けられている。
(例えば、平成30年2月に試験を取得した場合、
平成33年度末まで有効である)

よって、北海道フードマイスター試験
については、受験対策降雨座を受講してから受験したいので、
その費用を賄うことができれば、受験に踏み切る予定である。

ついでに、まだ試験日程は決まっていないが
2019年の2月または3月に試験の実施が予測される
北国のガーデニング知識検定
も受験を検討中。
ただ、受験日によっては、簿記や他の国家資格を
優先する意向であるため、
受験を見送る確率も低くはない。

平成11年の2月以来、
18年ぶりに平成30年4月7日に受験した
日本漢字能力検定試験4級
日本漢字能力検定試験3級
筆記試験ではなく、CBT試験でW合格に至った。

私が漢字能力検定試験の勉強を始めたところ、
4級試験からあやふやというべきか
つまずきと思われる箇所があったため、
敢えて、4級試験からの受験に踏み切った。

また、私は過去に併願して合格に至った筆記試験では、
午前の点数が高く、午後の点数がギリギリという
パターンが多かったため、CBT試験を併願したら、
どんな点数配分になるのかという興味もあり、
敢えて、午前中から試験に臨んだ。

試験終了後に
「10日くらい後に結果が郵送されると思います」
とのことだったが、1日早く到着した。
点数は
日本漢字能力検定試験4級176点
日本漢字能力検定試験3級175点
とあまり変わらなかった。

19年前の試験では、
全部の試験級が8割合格となっていたのだが、
現在の試験級別になってから
日本漢字能力検定試験7級から
日本漢字能力検定試験準2級までの
合格基準が緩和されたらしい。

なお、受験費用に余裕があれば、11月18日に受験予定の
語彙・読解力検定2級試験の前に
日本漢字能力検定試験準2級
日本漢字能力検定試験2級にも
挑戦する予定(他のCBT試験との関連で、遅くても10月頃)。
というのは、語彙・読解力検定試験でも
読解力問題(五肢択一)で読み書きの問題が出題されており、
それが漢検2級レベルまたは漢検準1級レベルに相当しているからである。

熊本地震から2年が経過した。
ただ、今でも信じられないのは、
4月14日に起きた地震が、
いわゆる本震ではなかったということ。
そして、2日後の4月16日に、
再び大地震が発生したことである。

熊本県内には、母方の従兄が住んでいるので、
母が状況を確認したところ、
中央部から離れていたためか、
軽傷で済んだらしい。
だが、実際に50名ほどの犠牲者が出ているので、
その方々のことを思えば何とも言えない気分になる。

改めて、犠牲になられた方々の
ご冥福をお祈り申し上げます。

2日ほど前になるが、
YOSAKOIソーラン祭り
審査枠が発表された。

私は、2004年に友人に誘われてから
毎年のよう見に行っている。
ただ。現在のチーム名になってから、
審査枠の段階で
YOSAKOIソーラン祭り
創設者の伝統を受け継ぐチームとの対戦は初めて。
合同チームになる前の
第2回YOSAKOIソーラン祭りから
参加しているチームと、
YOSAKOIソーラン祭りの創設者。

14年間も同じ審査枠に入らなかったが不思議であり、
私の中では、YOSAKOI7不思議の一つだった。

ついでに、私の母校が今回の審査枠の時間帯に
登場するのは少なくとも3回目。
ちなみに、今回の審査枠には、
私のもう一つの母校も登場。

さて、結果はいかに………・

1日遅れてしまったが、4月10日は
瀬戸大橋開通から30周年に当たる日であった。

30年前の4月10日は、確か日曜日だった。

この点については、ニュースなどでも取り上げられていたので、
詳細は省略するが、ニュースを見ながらふと思ったのは、
列車の中から写真を撮影するのは、意外と
難しいのではないか?
近くの砂浜あたりで撮影した方が、
意外と奇麗に撮影できるのではないか?
とも思った。

ちなみに、私自身は、現住所から一番遠くでも
三宮までしか足を踏み入れたことがない。
いつの日か、JRで瀬戸大橋を通ってみたいとも思った。

ただ、いつの日になることやら………。

4月8日に続き、テレビ番組の感想。

ラジオ番組を担当した男性アナウンサーが、
約1時間30分後にTVにも登場し、
テレビとラジオを合わせて
結局、この日は7時間30分も番組を担当した。

日高晤郎さんの9時間には及ばないものの、
「7時間30分の番組担当、お疲れ様でした」と言いたい。

テレビ番組を見ていて思ったことは、
その3日前に放送された
どさんこワイド179の内容を
少しだけ膨らました感覚に思えた。
一方、追悼のテレビ場組では、
日高晤郎のスーパーサンデー
アシスタントを務めた某女性アナウンサーも登場した。
彼女は現在、ラジオで別の番組を担当しているが、
彼女なにもかなりの思い出があるらしい。
その日高晤郎のスーパーサンデー
私自身が視聴することは少なかったが、
日高さんと彼の師匠の回だけは、見た記憶があった。

さて、番組が進んで、TVの方も
最終盤に突き進む。
ただ、まさかあのようなエンディングになるとは
想像もしなかった。

以上、ラジオとテレビの感想である。

ブログが長くなりそうなので、本日より2回に分けて、記載する。
STVラジオでは、6時間に渡って追悼番組が放送されたが、
私は、別の用事があったため、実質午前8時から
10時までしか聞くことができなかった。

私にとっては残念ながら、恩師となる方は
多数いらっしゃるが、一方で、
師匠とまで呼べる人が
今のところは見当たらない。

そういう意味では、日高さんは
幼い頃の辛い経験はあるものの、
幸せ者だったような気がする。

ちなみに、私自身は、
日高さんが放送で歌っていた歌については
街のあかりよりも
つづれ織りの方が
深く印象に残っている。

ところで、日高さんがラジオ番組を最初に休んだ時は、
日高晤郎さんに対して
そんなに異変を感じなかった。
ただ、2月10日の公開放送で、
滅多に誉めないアシスタントのことを誉めていたので、
「珍しいな」とは思った。

そして、最後の放送となった約2週間前のラジオ番組の時は、
残り約15分間の放送を今振り返ると、
「もしかすると、自分の死が近いことを予期していたのではないか」
いうような気もする。

追悼番組のラジオでもテレビでも放送されていないらしいが、
私が一番印象に残っている言葉は、
年を取ることを楽しみなさい
ということである。

さて、話は戻って、
次はテレビ編の感想を記す。

平成30年4月3日
日高晤郎さん
が天に召された。

実は私が
『ウィークエンドバラエティ 日高晤郎ショー 』
を聞いたのは、小学校6年生の頃(1984年)
私は高校1年生の3月まで、ピアノを習っており、
母にその送り迎えをしてもらっていた時に、初めて聞いたのであった。
その当時は、午後4時前後に、本の朗読をされており
番組が終了する15分位前に披露する歌も、
現在とは違った歌だった。

また、私が網走の大学時代に、
少なくとも2回ほど、リクエストした曲を
かけていただいたことがあり、
私にとっては決して嫌いな人ではなかった。

その後、私に紆余曲折があり、
しばらくの間、放送を聞くことができなかったが、
札幌に戻ってきてからは再びこの番組を
聞くようになっていた。

今は生活できるだけの給与を得ていないとは言えども
春先から秋にかけて、仕事が入っていることもあり、
9時間番組の時は、午前中の一部と
午後の残り30分くらいしか聞くことができないこともあった。

そんな日高さんの訃報を知ったのは、
平成30年4月3日の午後になってからだった。
私には上述したような思い出があるだけに、
未だに信じることができない。
そしてもう一つ、4月7日以降
『ウィークエンドバラエティ 日高晤郎ショー 』
の後釜の番組はどうなるのか、という点も気になる。

なお、今回の訃報お受けて、アンチと思われる方が
ショックを受けていることにも驚きを隠せなかった。

時間を見て、記帳に行ってきたいとも思っている。

改めてご冥福をお祈り申し上げます。

北の零年
北のカナリアたち
北の桜守
結局、私はこのシリーズを
全部映画鑑賞してしまった(笑)
今回鑑賞した日は2018年4月1日。

なお、予め断わっておくが、
これらの作品はあくまでも北海道内が舞台になっているので、
気になって映画鑑賞に行ってしまったというのが本音である。

どういうことかというと、私より20歳くらい年上の方は、
主人公の女優が好きだから、鑑賞したという方が
多いらしいが、40代の私には
この点に関して、分かっていない部分が多い。

さて、前置きが長くなったが
チケットが完売した映画の感想。
映画自体は、まあまあ良かったのだが、
主役の大女優に、あのような役をさせるのは、
少し気の毒にも感じられた。
そしてこの配役は、
『木の他国から'83冬』の
某俳優を思い出さずにはいられなかった。
(このドラマでは、某俳優が同じような役をやっている)

タイトルにも示した通り、
連続テレビ小説「わろてんか」の感想。

私にとっては、後半になればなるほど、
はまっていく作品となった。

強いて言うなら、1作前の、
連続テレビ小説「ひよっこ」
比較すると、甘いと言われるかもしれないが、
「優」「良」「可」のうち「良」の成績をつけてもいいと思う。
また、その1作前のべっぴんさん
今回の連続テレビ小説「わろてんか」
比較すると、かなりましだったと言わざるを得ない。
べっぴんさんについては
確か「可もなく不可もなく」という感想を述べたと思うが、
NHKが依頼した脚本家のことを考えれば、
やむを得ない部分もあったのではないだろうか。

では、なぜ「良」で留まってしまったのか。
3月30日まで担当していた「あさオイチ」の某アナウンサーは
泣きじゃくるかもしれないが、できれば息子に先立たれ、
更にそこから苦難を乗り越えていく姿を放送して欲しかったからである。
そして、できれば、昭和25年ごろまで、
描いてもらえると、もっと有り難かった。
但し、連側テレビ小説特有の原則は守る、という形で………。

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