今日は父の祥月命日なので、父が息子にあてた日記をそのまま引用する。
(よって、本日のブログは、やや長くなることをご承知おきたい)
平成18年6月1日に、父が胃がんにかかっていることが分かり、
6月29日は、父のがん摘出手術の日であった。
私は更にその前日の6月28日に、母に言われ、
『チーズはどこえ消えた』という本をプレゼントした。
著作権の関係があるので、父がこの本を読んだ後に書いた
日記の一部を引用する。
なぜこのようなことを書くのか、疑問に思っていた。
だが、今にして思うと、父は自分の命が間もなく尽きることを
なんとなく感じていたのではないか、という気がしてならない。
というのは、父は息子の私に対しては、厳しい人で、
息子を褒めることは、ほぼ皆無に等しかったからだ。
また、父に限った話ではないが、人の場合は、
生命が尽きることを予感したら、言動に変化が現れる、
とも耳にしたことがあるからだ。続きを読む
(よって、本日のブログは、やや長くなることをご承知おきたい)
平成18年6月1日に、父が胃がんにかかっていることが分かり、
6月29日は、父のがん摘出手術の日であった。
私は更にその前日の6月28日に、母に言われ、
『チーズはどこえ消えた』という本をプレゼントした。
著作権の関係があるので、父がこの本を読んだ後に書いた
日記の一部を引用する。
この本を読んでいるうちに、6時になってしまった。この日記を見たとき、これから元気になろうと思っているはずの父が
ああそうだ。今日は手術日だ。
今まですっかり忘れてしまっていた。
手に点滴の管があることに気づいた。
〇〇ありがとう。すっかり手術日であることを忘れていた。
一気に読んでしまうような本を持って来てくれてありがとう。
〇〇がいてくれて本当にありがたかった。
なぜこのようなことを書くのか、疑問に思っていた。
だが、今にして思うと、父は自分の命が間もなく尽きることを
なんとなく感じていたのではないか、という気がしてならない。
というのは、父は息子の私に対しては、厳しい人で、
息子を褒めることは、ほぼ皆無に等しかったからだ。
また、父に限った話ではないが、人の場合は、
生命が尽きることを予感したら、言動に変化が現れる、
とも耳にしたことがあるからだ。続きを読む