ブログが長くなりそうなので、本日より2回に分けて、記載する。
STVラジオでは、6時間に渡って追悼番組が放送されたが、
私は、別の用事があったため、実質午前8時から
10時までしか聞くことができなかった。
私にとっては残念ながら、恩師となる方は
多数いらっしゃるが、一方で、
師匠とまで呼べる人が
今のところは見当たらない。
そういう意味では、日高さんは
幼い頃の辛い経験はあるものの、
幸せ者だったような気がする。
ちなみに、私自身は、
日高さんが放送で歌っていた歌については
街のあかりよりも
つづれ織りの方が
深く印象に残っている。
ところで、日高さんがラジオ番組を最初に休んだ時は、
日高晤郎さんに対して
そんなに異変を感じなかった。
ただ、2月10日の公開放送で、
滅多に誉めないアシスタントのことを誉めていたので、
「珍しいな」とは思った。
そして、最後の放送となった約2週間前のラジオ番組の時は、
残り約15分間の放送を今振り返ると、
「もしかすると、自分の死が近いことを予期していたのではないか」
いうような気もする。
追悼番組のラジオでもテレビでも放送されていないらしいが、
私が一番印象に残っている言葉は、
年を取ることを楽しみなさい
ということである。
さて、話は戻って、
次はテレビ編の感想を記す。
STVラジオでは、6時間に渡って追悼番組が放送されたが、
私は、別の用事があったため、実質午前8時から
10時までしか聞くことができなかった。
私にとっては残念ながら、恩師となる方は
多数いらっしゃるが、一方で、
師匠とまで呼べる人が
今のところは見当たらない。
そういう意味では、日高さんは
幼い頃の辛い経験はあるものの、
幸せ者だったような気がする。
ちなみに、私自身は、
日高さんが放送で歌っていた歌については
街のあかりよりも
つづれ織りの方が
深く印象に残っている。
ところで、日高さんがラジオ番組を最初に休んだ時は、
日高晤郎さんに対して
そんなに異変を感じなかった。
ただ、2月10日の公開放送で、
滅多に誉めないアシスタントのことを誉めていたので、
「珍しいな」とは思った。
そして、最後の放送となった約2週間前のラジオ番組の時は、
残り約15分間の放送を今振り返ると、
「もしかすると、自分の死が近いことを予期していたのではないか」
いうような気もする。
追悼番組のラジオでもテレビでも放送されていないらしいが、
私が一番印象に残っている言葉は、
年を取ることを楽しみなさい
ということである。
さて、話は戻って、
次はテレビ編の感想を記す。
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