From Sapporo -道産子のブログ-

カテゴリ: 日記

9月30日は父方の祖父の祥月命日である。
私が生まれた時には、既に他界していたが、
船長をやっていたらしい。
そのため、私は、2019年9月16日付のブログにも記したが、
船を使用した旅行にも興味を持っている。

だが、過去の青函連絡船の記憶は、残っているものの、
船(フェリー)の構造や特徴、料金の決め方など、
判っていない部分が多い。
時間があれば、フェリー乗り場に行って、
資料や時刻表等を集めてみたい。

平成7年9月16日、母方の祖父がこの世を去った。
母からの電話で判ったことだが、その2日前くらいから、既に意識を失っていた。
病院に様子を見に行った時には、点滴だけはつながったていたものの、
とても声をかけられるような状態ではなかった。
(私は当時網走にある東京農業大学の学生であり、
網走から母方の祖父母が住んでいた洞爺まで乗り継いで行ったような記憶がある)

私が生まれる以前に父方の祖父が逝去していたことから、
私が生まれた時点で、父方の祖母と母方の祖父母が生存しているという状況だった。
そして母方の祖父が国鉄に勤務していた経験からか、
私は旅行が趣味となっていった。

それが影響したのか、母方の祖父には、随分可愛がってもらった。

小学校2年生の冬休みには、当時札幌駅を発着する列車の時刻と
写真を取り揃えて、自由研究にしたこともある。
(北海道の小中学校は、夏休みがお盆過ぎまでで、
冬休みは、当時の成人の日・・・1月15日過ぎまでであった。
現在も似通っているが、中学校の夏休みは若干増えている)

また、小学校5年生の時には、4泊5日の旅行にも
連れて行ってもらった。
それだけではなく、祖父からは鉄道に関する本も、幾つか頂戴した。

その約1年1ヶ月後に父方の祖母を、3年後に母方の祖母を失い、
私は4年間の間に相次いで祖父母を亡くすという貴重な経験をした。
(ちなみに、父方の祖母は函館に住んでおり、父方のお墓は今でも函館にある)

少し話がそれたが、母方の祖父母のお墓は、札幌の平岸にある。
今年はまだ1度もお墓参りをしていないので、出来れば秋分の日までに
お参りをしてこようと思っている。
本来は本日行く予定だったが、雨の予報が出ているので、思案中である。

ライブドアブログの皆様、初めまして。
ヤプログより引っ越してまいりました。
ヤプログの運営サービス停止により、
どこが良いのか探し続けた結果、
こちらに辿り着きました。

では、改めまして、よろしくお願い致します。


ヤプログの運営事情により、
来年1月までにどこかのブログに引越しせざるを得なくなりました。
現在、検討段階に入っております。
無料ブログで、最低でも3GB以上利用できるブログを
探しています。

過去のブログも読めるように
配慮したいと思います。

なお、整理するのは9月1日に行われる
国家資格の受験が終わってからの予定です。

今から13年前の2006年(平成18年)6月30日、
私の父は、突如他界した。

過去のブログにも経過を記しているが、
もう少し詳しく触れる。

6月1日に胃がんが発覚し、
まずは6月5日に内科に入院。
6月9日に退院し、自宅に戻る。

6月12日に、今度は外科に入院し、
6月17日に自宅に戻る。
その間に胃の摘出手術の
打ち合わせを病院側と行ったらしい。

その後3日間は家にいて、
父は神戸に出張。
(これが父にとって最後の出超となる)

最後に6月26日に3週間の予定で入院。
6月29日に胃の摘出手術を行い、手術は成功。
しかし、突然体調を悪くし、次の日には帰らぬ人に。
(医者である父方の叔父と母方の伯父によると、
夜中に心筋梗塞を併発したらしく、それが命を落とす
きっかけとなった。)
続きを読む

このブログをお読みの方はお気づきになったと思われるが、
記事のカテゴリを「資格」から「資格カテゴリ」に変更した。

また映画やテレビに関わることについては、
本来であれば、「人文科学」となるのであろうが、
「芸術作品」として捉えられることもないわけではないので、
「芸術」カテゴリに移行した。

昭和47年5月19日午後1時59分に、私はこの世に生まれた。
母の話によると、出産予定日が5月1日だったことから、
18日も出産が遅れたらしい。
本来は、出張でいなくなっただけなのに
母曰く「医者に逃げられた」とか。

そのためかどうかは知らないが
私は逆子で生まれたようだ。
とは言っても足からではなく、尻からだった。

そして、1歳の時には斜頸で2回、
5歳の時には、斜視で2回、
8歳の時には、泌尿器科系の病気で、
幼い頃は5度に渡って入退院を繰り返した。

にも関わらず、全て生還したのだ。
また、大人になってからは、
若年性高血圧症で悩まされたが、
仕事と運動を兼ねるようになって、
昨年の健康診断では、血圧の値が
珍しく正常値となった。

それだけではない。
毎年のように雪道で転倒してしまい、
昨年から今年にかけては、初夏も含めて
2度も大ケガを負ったのだが、それも今では完治した。
ラジオ体操や仕事を兼ねてのウォーキングは行っているものの、
まだまだ運動不足なのかも知れない。

よって、生命(いのち)への感謝を忘れないようにしたい。
同時に慌てて物事をしないよう、心がけたいと思う。

このブログをお読みの皆様へ 再度ご報告です。

ここ2日間、ブログ記事とは関係がない、
宣伝のコメントが入っていましたので、
即刻削除させていただきました。
同時に、画像認証もさせていただくことに致しました。

私は基本的に、ブログ記事と無関係の
コメント及びトラックバックは、承認しません。
ましてや、お店等の宣伝については、
過去に一度も承認しておりませんので………。
(その他、いわゆるアダルト関係も即刻削除させていただきます。
私の場合は、100%承認しません)

なお、資格試験の情報提供は、承認します。
(映画や旅行等の情報提供は、著作権侵害となる可能性があり、
ブログ管理人でなくても、「○○より引用」という注意書きを入れないと
認められない確率が高いと思われます。)

我が家は3人家族で、父が13年前に他界した。
母は長生きの家系に生まれ、生存している。
そして、息子の私は、母には将来を心配されながら、
私がなかなか一定の職に就けないこともあって、
母と一緒に暮らしている。
そんなわけで母親には、今年もカー年ションとお菓子を手渡しした。

そのお菓子は『シャトレーゼ』の銘菓(?)、
『フルーツのジュレ』である。
賞味期限がまさかの4カ月超。
冷やしても食べられるし、常温でも食べられる。
母は喜んでいるようであった。

2018年5月5日付のブログでは、
北海道では、端午の節句に「べこ餅」を食べる
記したので、今年は、異なる記事にした。

本日は、こどもの日でもあるのだが、
最近、鯉のぼりを見なくなったような気がする。
私は、数少ない給与で外回りをしているのだが、
こどもの日が近づいても、
鯉のぼりを上げている家は、皆無に等しかった。

一体、鯉のぼりはどこは行ってしまったのだろうか?

新元号最初のブログのタイトルは、
令和元年始まるとした。
私は元号が変わる瞬間に起きていようと思ったが、
眠気に負けて寝てしまった。

平成31年4月30日に17時過ぎに行われた『退位礼正殿の儀』、
令和元年5月1日10時30分過ぎに行われた『剣璽等承継の儀』、
そして、5月1日11時10分過ぎに行われた『即位後朝見の儀』を通して、
新天皇陛下のお言葉を拝聴することができて
つくづく、日本人に生まれて良かったと思った。

私も、元号が変わっても、平和な時代が
訪れることを心から祈っている。

明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します。
新年の最大の目標は、生活できるだけの給料を得られるようにすること
但し、焦ってブラック企業などに行かないようにすることです。
(過去に1度はブラック企業に行きかけ、
1度は自費出版を予定して、大金を支払うよう
命じられたことがありますので。

このブログをお読みの皆様、今年もお世話になりました。
そして、コメントをくださった皆様、有難うございました。

さて本題。本日は、母方の祖母の祥月命日で、
あれから20年経過したことになる。
例によって今年も口取り菓子を仏前に供えておく。
20年の月日は長いようで短かった。

当ブログは12月31日までお休みします。

10月27日は父方の祖母の祥月命日である。
早いもので、父方の祖母がこの世を去ってから、
24年の月日が経過した。
孫である私にとっては、優しくて、
かつ可愛がってもらった祖母であったが、
未だに遺言めいた言葉が効いている。

それは一言で言ってしまえば、
「親を大切にしなさい」というものであるが、
もし、父方の祖母が、
「この孫は親を大切にしなさそうだ」という
予感めいたものがあったのだとすれば、
孫の私にとっては、結構手ごわい言葉を残して
この世を去った、とも言える。

現にその約10年後に他界した父に対しては、
大切にすることができなかった。
そのため、少しでも母を大切にしたいという気持ちはある。
だから、母に少しでも反抗してしまった日には、
父方の祖母の言葉を思い出して、
反省することしきりである。

本日は、FPのイベントがあるため、
午前中は留守にする。
ただ、例年通りお菓子は添える予定である。

日高晤郎さんの死から半年が経過した。
今年は著名人の他界があまりにも多いような気がする。
土曜日に後継となったラジオ番組を聴いていると、
リポーター2名とのやり取りが、日高さんが番組を担当していた時より、
パワーアップしているように思える。

試験やセミナー、更には仕事などで
全部の時間を聴視できないこともあるが、
10月からの番組が楽しみである。

9月30日は、私の父方の祖父の祥月命日である。
以前に触れたことがあるが、船長だった。

6月30日の父の13回忌及び父方の祖母の23回忌で
叔母達が話していたことが印象的だった。
船長をやっていたからか、甘党だったらしい。

この点については初耳だった。
台風が接近する前に、何らかのお菓子を
備えたいと思う。

このブログではしつこく記しているので、
お分かりの方もいらっしゃると思うが、
9月16日には、母方の祖父の祥月命日である。

母方の祖父は、飲酒や喫煙歴はあったものの、
性格自体は至って穏やかに見えた。

また、囲碁を趣味にしており、娘婿と一緒に
碁を打つことも多かった。
私は父と母方の祖父が囲碁をたしなんでいるのを
よく見ていたが、母方の祖父は囲碁に関しては、
相当強かったらしい。
なので、私も本音を言わせてもらうと、
将棋より囲碁の方が好きである。
また、私も中学校時代に、祖父から
囲碁を教えてもらったことがあったが、
その当時の私は誰が相手であっても、
勝負にならない状態であった。

久々に、誰かと囲碁をやってみたくなった。

以前にも記したような気もするが、
北海道の小中高では、そもそも9月から2学期という常識が通用しない。

2018年度の場合、珍しく中学校の夏休みがやや長いが、
小学校に至っては、8月20日が始業式であった。
ちなみに私が小学校の頃は。お盆が終わるとすぐ2学期。
一方、冬休みは当時の成人の日(1月15日)過ぎが基本だった。

また、小学校の運動会に至って、も春の運動会が定番だったので、
秋に運動会を実施するということはなかった。
私のように体育の儒教が大の苦手だった自分には、
さっさと済ませてもらって助かった面もある。
そのため、北海道の小学校で春に運動会を実施し、
本州の章が校で秋に運動会を実施していて、
2学期の初めに本州から北海道へ転校してきた場合、
その年度は、運動会に参加できなった生徒がいたということになる。
また、北海道の小学校では、体操着なるものはそんざいしないため、
各自動きやすい服装であれば、自由な服装でよかった。

本州から転校した来た生徒と友達になり、
その友達のお母様とも話したことが何回かあるが、
夏休みが短くなるのは親にとっては楽だったらしい。
ちなみに、私が在籍した小学校では、
秋に「体育大会」(=陸上記録会のようなもの)は
存在したが、今考えると、運動会とは全く別物だったように思う。

このように北海道では、本州の常識が通用しないことがある。

2日前の平成30年8月11日に、
私が大学院(修士課程)を修了した大学で、
総会と同窓会を兼ねた懇親会があり、
久々に江別まで足を運んだ。

総会と懇親会の両方に出席して分かったことだが、
財務報告の箇所では、ほとんどが簿記の記述に沿っている中、
一部だけ、簿記とは一致していない部分があった。
なお、総会自体は淡々と進んでいった。

そして、懇親会では、経営関連の先生は、
ほぼ欠席されていたものの、
(私が終了したのは、経営管理学専攻)
それでも教養部担当の先生や、
情報関連の教授にお会いすることができ、
それなりに楽しめた。

また、懇親会時のメニューは
①エビのチリソース
②ビーフシチュー
③ハムとニンジンの野菜サラダ
③お刺身
⑤味噌汁代わりのラーメン
⑥お寿司
⑦豚肉とタマネギの野菜炒め
⑧6種類のデザート
とやや中華系のメニューが多かったものの
それなりに工夫を凝らしているようには見えた。

そして帰宅にあたっては、野幌駅南口まで
バスを手配するという気の利き様があり、
交通費も少しだけ浮かせることができた。

2018年はスポーツ界からの不祥事も目立つが、
入試問題の採点ミスから始まった
大学の不祥事も結構多いような気がしている。

2018年8月2日にニュースで取り上げられた事項については、
著作権の関係で、詳細は省略するが、
あまりにも酷い。

東京医科大の不祥事とも取れる事件は、今回が2回目。
この大学には、非常に申し訳ないが、
これなら「地に堕ちた」と言われてもやむを得ないであろう。



平成30年7月30日、朝早くから札幌市が委託事業で行っている
とくとく健診に行ってきた。

このブログを何度かご覧になった方はお分かりかもしれないが、
私はかつて若年性高血圧症
診断され、健康診断のたびに毎度のように引っ掛かっていた。

今回は珍しく正常値が出力されたので、それが何とも嬉しかった。
ただ、油断は禁物。
もう少し様子を見る必要があるのではないかとも思った。

6月30日に無事に法事を終え、
1泊して、昨日無事に家に戻ってきた。

このような仏事を行う際に、
各家庭の宗教(宗派)が話題になることがあり、
北海道は、浄土真宗の家が多い。
(母方の系列も浄土真宗である。)

ところが、我が家(いわゆる父方)は
宗教が天台宗なので、北海道では
極端に少なくなる。
札幌のような大都市ですら、
親族以外で天台宗を宗派とする家は
聞いたことがないのである。

この天台宗で仏事を行う際の特徴と言えば、
木魚を使用することである。
私は、12年前に父の葬儀場で木魚の響く音を聞いた時、
あまりにも響くので、飛び上るほど(オーバーな)、
驚愕したのを覚えている。

次の法事は4年後に取り行われるので、
現時点よりも成長する姿を
魅せることができたら、と思っている。

本日は、函館にて父の13回忌と父方の祖母の23回忌が行われる。
そして、父の祥月命日でもある。

月日が経過するのは早いもので、
突然の父の死から12年の月日が流れた。

だが、未だにほんの僅かの給料しか
戴いていないことを考えると、
自分自身に与えられた使命は
多く残っているように思う。

6月13日の記事に書いたとおり、
6月15日現在は北海道神宮例大祭の真っ最中。
そして、本年も2度目の参拝に行ってきた。

今回は、午後に参拝したからかもしれないが、
例年と比較して参拝客が若干多かった。

北海道神宮の正門から神殿までは、
若干の距離があり、しかも砂利道となっていたので、
歩く身としては少し危険を感じてしまった。

先日も書いたとおり、本日6月15日には、
我が家の近くを、町内かの山車が練り歩く。
町内かの山車というだけあって、御輿も小さい。
だが、この山車行列もかつて私が時間を測ったところ、
全部の山車が練り歩きを終えるまで
なんと45分から60分程度はかかっている。
(北海道神宮の御輿渡御の場合は1時間15分から1時間30分前後)

中には、この山車や16日の御輿に向かって手を合わせる人もいるとか………。

平成30年5月19日
ついに私は46歳になった。

まだ、生活できるだけの給与は戴いていないが、
それでも、契約社員として仕事が出来ているだけ、
まだましである。
ただ、母からは
「早く生活できるだけの給与を得て、お嫁さんをもらいなさい」とも
言われているので、焦りがないというわけではない。

さて、本日は46歳時の目標を掲げておく。
自分なりのきちんとした意見を持つ一方で、
人の意見(忠告)には少しでも耳を傾けてみる


ちなみに、私は高等学校は男子校で、
大学時代も、私が所属した学科に限ると
約9割5分が男性で固められていた。
そのようなこともあってか、同年代の女性への接し方自体が
よく分かっていない。
彼女達の動向を見てみると、
素直でない人以上に、人の意見に流される人を
嫌っていたように思う。
このような経験があるので、
上述したような目標を立ててみた。

46年前の5月15日、
沖縄が日本に復帰した。
だが、ニュースなどを見ていると、
沖縄県民のアメリカ人に対する
嫌悪感の方が強く伝わっているような気がする。

一方で、原爆投下の被害に遭った
広島県民や長崎県民の間では、
ここ数年、アメリカの要人が
記念式典に来日していることもあってか、
嫌悪感のようなものは感じられない。

ちなみに、以前にもこのブログで述べたが、
北海道民は、どちらかというと
ロシア人を嫌う傾向にある。
北方領土を不法占拠した挙句、
シベリア出兵までさせたかららしい。
そのため年配の方からは「ロシア憎し」の
発言がたびたび聞かれることがある。

沖縄にしろ、北海道にしろ、
このような事実は、内地の人には
喋らないと、内地の人にはなかなか伝わって行かない。
しかし「アメリカ憎し」や「ロシア憎し」という
憎いという感情ばかりが先行すると、
物事を見る目が狭くなってしまうのではないだろうか。

5月15日を迎えて、こんなことを思った。

平成30年4月3日
日高晤郎さん
が天に召された。

実は私が
『ウィークエンドバラエティ 日高晤郎ショー 』
を聞いたのは、小学校6年生の頃(1984年)
私は高校1年生の3月まで、ピアノを習っており、
母にその送り迎えをしてもらっていた時に、初めて聞いたのであった。
その当時は、午後4時前後に、本の朗読をされており
番組が終了する15分位前に披露する歌も、
現在とは違った歌だった。

また、私が網走の大学時代に、
少なくとも2回ほど、リクエストした曲を
かけていただいたことがあり、
私にとっては決して嫌いな人ではなかった。

その後、私に紆余曲折があり、
しばらくの間、放送を聞くことができなかったが、
札幌に戻ってきてからは再びこの番組を
聞くようになっていた。

今は生活できるだけの給与を得ていないとは言えども
春先から秋にかけて、仕事が入っていることもあり、
9時間番組の時は、午前中の一部と
午後の残り30分くらいしか聞くことができないこともあった。

そんな日高さんの訃報を知ったのは、
平成30年4月3日の午後になってからだった。
私には上述したような思い出があるだけに、
未だに信じることができない。
そしてもう一つ、4月7日以降
『ウィークエンドバラエティ 日高晤郎ショー 』
の後釜の番組はどうなるのか、という点も気になる。

なお、今回の訃報お受けて、アンチと思われる方が
ショックを受けていることにも驚きを隠せなかった。

時間を見て、記帳に行ってきたいとも思っている。

改めてご冥福をお祈り申し上げます。

私は2月10日というと、
豊浜トンネル岩盤崩落事故
を思い出す。

詳細はウィキペディアなどに記載されており、
著作権問題に発展すると行けないので、
内容は省略する。

確かあの日も土曜日だった。
改めて、犠牲になられた方々の
ご冥福をお送りします。

新年が明けてから、5回ほど。
ブログへのコメントをいただいているので、
その点については感謝申し上げる。

ただ、そのうち最近の3名からは
「初めまして」や「初投稿になります」、
「お久しぶりです」等のコメントが無かった点が
やや気になった。

そこで、このブログをお読みの皆様へ
コメントの際は挨拶も忘れずに!

人によっては、「何故そこまで?」
とおっしゃられるかも知れないが、
まず第一に、私が「挨拶も礼儀の一部である」と考えていること、
第二に、「挨拶ができない(あるいは挨拶を忘れている)方で、
何かに成功した」という話をあまり聞いたことがないからである。
よって、これからは、「挨拶のないコメント」に対しては、
厳しい態度を取る可能性もあるので、気をつけていただきたく思う。

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