From Sapporo -道産子のブログ-

カテゴリ: 芸術及び番組感想

昨日に引き続き、今度は連続テレビ小説 『スカーレット』の感想。
放送開始の頃はあまり面白みを感じられず、
初回の放送しか見なかったが、後半になればなるほど、
だんだん深刻になってきて、見入るようになってしまった。

特に、3月の放送は、結構辛かった。
ただ、このドラマの良かったのところは、
人の死を描かずに、ナレーションで済ましたところだった。

次の朝ドラも楽しみである。

令和2年3月27日に
最終回を迎えがやすらぎの刻~道の感想。

仕事や資格試験の勉強で視聴できない時もあったが、
脚本家の仕事の大変さというものを身に染みて感じた。

また、『道』の方では
私が知らない戦時中の話が盛り込まれており、
私たちが生きている現代よりも
もっと辛い時代であったということだけは想像できた。

この作品は、脚本として本が出版されるので、
前回のやすらぎの郷と合わせて、
シナリオを購入したいと思う。

令和2年3月17日に放送されたたけしの家庭の医学
を途中からであるが、視聴した。

私は、ゲストとして2番目にで登場した方の最後のコメントが
未だに耳に残っている。同時に、私にとっては
あまりにも耳の痛い言葉だった。

特に、男性は女性の言うことをまともに聞かない時があり、
それが時には墓穴を掘ったり、あるいは因果応報として
罰が当たることもあるからだ。

次に、ゲストとして3番目に登場した方。
私は、この方の声(喋り方)が、何となくおかしいことに気づいた、
ちょっとした油断が、この方のような病を引き起こすのかと思うと、
少し恐ろしくなったのも事実である。

私にとっても反省材料の番組となったので、視聴して正解だったと思っている。

今は余程の事情がない限り、旅行を控えなければならないので、
昨日放送された鶴瓶の家族に乾杯
の感想を書いておく。

毎回見ていて不思議なのは、
鶴瓶さんとゲストが結局は似たような
状況に陥ってしまうことである。

著作権の関係で詳細は言えないが、
鶴瓶氏が出会った最初の某女生徒、
先が思いやられた。

多分、この番組も新型コロナウイルスの影響で、
3月分の放送終了後、4月分の放送に関しては、
放送を見合わせる可能性もあるのではないか、
そんな気がしている。

このようなことを思いながら番組を視聴した。

前回に続いて、今回は
ブラタモリ  令和2年2月1日編及び2月8日編
の感想。

と言っても、その感想は、わずか2点だけである。
1.川の名前が過去には全く異なっていたことに、
驚きを隠せなかった。
2.列車で見るならまだしも、観光には向かなさそう、と感じた。

以上である。

今回は珍しい番組の感想。
地元の話題が新聞に出ていたので、気になって視聴してみた。
感想としては、札幌に住んでいる割には、知らないことが山ほどあった、
という点である。

そしてもう一つ、来道客は、日本人であっても、
結構お金を使ってしまうんだ、というイメージが残った。

冬至の前後に、札幌シネマフロンティアにて
一粒の麦 荻野吟子の生涯
を公開しているのを知り、クリスマスの日に鑑賞してきた。
(この日は、男性割引が利用できた)

この方の生涯については、今年9月に修了した
ほっかいどう百年物語
でも放送されており、私は全てを知っているつもりだった。
だが、公開された映画を見て、知らない部分も結構あった。

ちなみに、この映画で気になったのは、冒頭とラストシーン。
それぞれのシーンは、『連続テレビ小説 あさがきた』
の一部シーンとやや類似していた。
だが、帰宅して調べてみると、荻野吟子さんが、
このようなことをした記録がないことが判明した。
なお、その他のシーンはほぼ史実に基づいていた。

ついでに、この映画の鑑賞者は、年配の方が多く、
20代と思われる方は見受けられなかった。
(但し、30代と40代と思われる方は私も含めて
十数名はいた)

やすらぎの刻~道(第177回及び第178回)は、
国民的番組となった北の国からを彷彿とさせる内容だった。
ここで詳細を記してしまうと、著作権法違反になってしまうので、
詳細はホームページ等をご覧になっていただきたい。

また、この番組は翌日朝にBS朝日で再放送されているが、
再放送をご覧になるのも困難だという方は、
おそらくシナリオ本が出版されると思うので、
そちらを読んでいただけると有り難い。

ちなみに、私は将来の夢として、本を書きたいという希望があり、
脚本家も候補の一つである。

昨日12月8日、かつて有償ボランティアとしてお世話になった、
NPO法人 札幌チャレンジドが主催する
クリスマスパーティーに参加してきた。
昨年は、事情により参加できなかったため、
実に2年ぶりの参加だった。

昼食を兼ねてのパーティーで
お酒としては、ホットワイン、
その他の食べ物及び飲み物としては、
おにぎり、おかず(チキン、卵焼き、ブロッコリー)、枝豆、
温かいポタージュ、おつまみとしての枝豆、パフェ、
コーヒーや紅茶などが提供された。

私はコーヒーが飲めないので、紅茶にしたが、
なんとコーヒーや紅茶は「三杯まで無料!!!」であった。

そしてコンサートも開かれた。
ジャズ形式の歌が合ったかと思えば、
沖縄の三銭のコンサートや
モンゴルの馬頭琴の演奏があったりと
楽しい1日を過ごした。
また、12月8日は、ジョン・レノンの命日ということから
Happy Xmas(日本語ヴァージョン)も演奏された。

久々に楽しい1日を過ごした。

12月5日に放送された秘密のケンミンshowを見ての感想。
北海道弁は、アクセントの違いはあるものの、
そんなに難解ではないと・・・・・・・・・。

しかし、内地の方が初めて北海道にやってくると、
信じ難いような天気予報が行われる。
注意報と警報が旧支庁名(現:振興局又は総合振興局)
に沿って発表されるのだ。
(かつては全て旧支庁に沿って行われていた)

しかも、旧支庁によって、南北に分かれたり、
東西に分かれたりする。更にややこしいのは、
一部の旧支庁では、○○中部という言い方もする。
現に、私が住んでいる札幌市は、
石狩中部
に属している。






昨日放送された秘密のケンミンSHOWの感想。
ゲストで道民が2名ほど呼ばれていたが、
2名のゲストと全く同様の感想を持った。

なお、著作権の関係で、内容は伏せざるを得ないので、
詳細はホームページを見ていただきたい。

渚のトランペットという曲を皆様はご存じだろうか。
昨日11月5日、今年の3月23日以来、
約8か月ぶりにこの曲を聴くことができた。

著作権の関係で、詳細は避けるが、
私は、この曲のタイトルが判らなかった。
よって、ラジオにリクエストしようにも出来なかったのだ。

今回の記事は、この辺で(笑)




今回もロケ地が地元ではなかったが、
鶴瓶の家族に乾杯 10月21日編
を見て、反省せざるを得なかった。

私は、過去のブログでも何度か記したことがあるが、
すぐに諦めてしまい、結果として、中途半端に終わり、
かつ、粘り切れないことが多い。

つまり、今回登場した方々とは逆に、出来なさそうなことは出来ないと決めつけて、
やろうともしないことが多々あったのだ。
また、納得のいかないことに対しては、
「それをしよう」という決断までに、相当時間がかかってしまう、という
欠点を持っている。

これが今回の放送を見た感想であり、反省点でもある。





北海道内では10月7日の放送が無かったので、
わざわざ深夜まで起きて、
鶴瓶の家族に乾杯 10月10日 深夜編
の放送を視聴した。
そのため、本日は、あまり寝ていない。

地元の放送ではなかったが、
この放送を見て、私にとっては、反省すべき点が多いように思えた。

まず、私は中学校くらいの頃から父親と対立するようになり、
父の死の直前まで、わだかまりを持ったまま父に接していた。
そのこともあり、父親と一緒に行動することを避けるようになっていた。

また、ラストを見て、やる気はあっても、それを成し遂げたいという根性が、
果たしてあったのだろうか、という疑問も抱いた。
どういうことかというと、最初の大学院を満期退学になった時、
ただ、「修士号だったら必ず取得することができる」という甘い考えがあったことは、
否めない、と思ったからである。
そのため、結果的に大学院の修士号を取得するまで、約10年近くを過ごすこととなった。
そして、この甘い考えが、転職活動にも響いていないのか、とも考えて放送を見終えた。

著作権の関係で放送内容は省略したが、これが、今回の放送の感想である。

本日のブログは、タイトルの通り。
『マッサン』以来、約4年ブリに地元がロケ地となった作品となるとあって、
放映を楽しみにしていた

連続テレビ小説では、どこが舞台になっても、
方言やアクセントの違いから、地元の方が違和感を持つことが多いという話を耳にする。
私にとっては、一部を抜かしてほぼ違和感がなかった。

また、私はドラマのロケ地が、まさか何年か前に台風の被害が起きた場所で行われているたとは、
思いもよらなかった。
これが、今回の感想である。

最後に、余談であるが、『どさんこプラザ』(札幌駅北口)には、
何故か『なつぞら』にちなんだお菓子が販売されていた。
中身は、どうやらチョコレートらしい・・・・・・・・・。


私は、倉本聰氏のドラマをよく見ている。
やすらぎの刻~道
もその一つ。

今回は、前半の感想。
当然のことながら、私は戦時中のことはよく知らない。
ただ、戦時中、兵隊にとられた10代、20代の男性陣に限ると、
戦争に非協力的な態度を示した人は、誰もいないのかと思っていた。
今回のドラマを見て、そのような人たちばかりではなかったことに
改めて気付かされた。

一方、『やすらぎの郷』の続編。(今回は箇条書きで記す)
(1) 男性陣でも、噂を流す人が好きな人っているんだ!!!
(2) もしも、自分や家族がドラマの誰かと同じような状況になったら、
  私自身は、どのように振る舞うのだろう。
  今のところは想像がつかない。

なお、いつになるかは未定だが、少なくとも後2回は、このドラマの感想を記す予定である。

鶴瓶の家族に乾杯
2019年 9月2日編 の感想。

私は札幌生まれの札幌育ちの男性であるが。
札幌市に隣接する市のうち、
主に足を踏み入れるのは、江別市か小樽市である。

つまり、過去に女性ゲストが訪問した某市と同様に
今回のロケ地に降り立つことが稀なのだ。
(但し、今回のロケ地は通っただけなら何度もある)

今回は、出会った家族が多弁で、言い間違いを連発したり、
当番組の主人公が珍しく怒りをぶちまけたり、
旅のゲストが落胆する場面があったりと
展開が読めなかった。

遅くても1年以内に、ロケ地を訪問する予定である。

地元が放送されたので、7月20日編に続いて
ブラタモリ 2019年7月27日放送分
感想を述べたい。

母の話によると、私が網走の大学を卒業して、
実家に戻る時に、父が運転する自家用車で
「展望台に寄った」とのことだったが、
私は、残念ながらあまり覚えていない。
(22年前の3月のことである)

ただ、今回の放送とは逆に、
あまり奇麗な景色で無かったことだけは、
なんとなく記憶にある。

また、今回の放送地域では、JRではなく、
最低でも観光バスでないと、
巡ることができない地域である。
変幻自在の雰囲気を醸し出す風景が
あまりにも印象的だったので、
いつか観光バスで、一部だけでもいいので、
今回の放送と同じ場所を巡ってみたいと思う。

本日は、ブラタモリ  令和元年 7月20日放送分の感想。
地元が舞台ということもあり、映像を見てみたが、
あまりにも内容が難しかった。

ただ、北海道内では、この番組の再放送がされないことが多いので、
もし万が一アンコール放送があった場合には、
再度視聴してみたいと思う。

7月15日に全国放送された
『永遠のニシパ ~北海道と名付けた男 松浦武四郎』
を視聴した。今回はその感想。

主人公の功績等は、STVラジオで放送されている
ほっかいどう百年物語
などでも放送されていたので、若干の知識はあったが、
まさかこんなに不遇な人生を歩んでいたとは
思いもよらなかった。

そしてもう一つ、このドラマで感じたことは。
道産子であっても、アイヌ語は難しく感じる
ということであった。

私はアイヌの方と話す機会がほぼ無いのだが、
かつて一度だけ、アイヌ文化の交流に関するセミナーにだけは
参加したことがある。もう少し給与を増やすことができたら、
白老や平取の二風谷などを訪問して
もう少しアイヌ文化に触れてみたいと思った。

前回に続いて、鶴瓶の家族に乾杯 6月17日編の感想。

なぜ、ロケ地が地元北海道でないのにも関わらず、
この日の感想を書いているかというろ、
もし、私がこの番組に参加していたら、
9割の確率で、ゲストと同じ行動をとったのではないか?
と思われるからだ(苦笑)。

ただ、ゲストのような行動に走ってしまうと、
結局は、そのツケが回ってくるということも
思い知らされた。

ちなみに、今回のロケ地は、
私にとっては、全く知らない土地で、
地名すらも聞いたことが無い場所であった。

6月10日と6月17日に放送された、
鶴瓶の家族に乾杯
あまりにも面白かったので、本日から2回に渡って
感想を記す。

今回は6月10日編。
このブログをお読みの方は、お分かりのことと思うが、
舞台は何と私の父方の叔母が住んでいる場所。

著作権の関係で詳細は触れられないが、
改めて家族の絆を思い知らされた。
内容は、家族に乾杯について書かれているサイトがあるので、
そちらを確認していただきたい。

ちなみに私にとっては、何度も足を運んでいる場所なのに、
最後にゲストの方が訪問した場所は、
全くと言っていいほど知らないところであった。


平成31年4月30日に、札幌東急百貨店で開催されていた
大相撲展に足を運んだ。
この日は、午後1時から、現役力士によるトークショーも
行われたからである。

展示物は多岐に及び、化粧廻も含めて、
芸術の一級品となるものが展示されていた。
また、あまり聞いたことがない、
相撲錬成歌
の歌詞が展示してあり、一番だけが歌われた
録音テープのようなものもあった。

そして、記者(新聞記者とは限らない)が選んだ
名勝負が昔懐かしいビデオで放映されていた。

さて、本題のトークショー。
大分県出身の力士と道産子力士の計2名が、
参加した。整理券などはなかったため、
観客は150人から200人前後まで
膨れ上がっていた。

私は、大分県出身の力士が喋った一言が
2日経過した今でも耳に残っている。
あくまでも、自分の考えであることを、前置きした上で、
「自分は苦労を苦労と思ったことがない。
それは好きで相撲をさせてもらっているから」


実は、この意見、私には耳が痛かったが、
後で、私の母と同じ考え方であることに気付いた。
なるほど、このような考え方もあったのかと………。
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4月8日から放送が開始された
やすらぎの刻~道
私はBSの再放送を見ることとなったが、
1週間のうち、木曜日と金曜日の放送で
あまりにも衝撃的な内容が盛り込まれているとは、
想像すらしていなかった。

本来、推測でものをいってはいけないのだが、
おそらく、この作品の脚本家にも
似たような経験があったのではないだろうか。

4月15日からの放送では、
どんな展開が待っているのか楽しみである。

転職を考えているため、たまにしか見ることができなかった
連続テレビ小説『まんぷく』
最後はハッピーエンドで終わって良かった、
というのが1点目の感想。
2点目は、ここまで婿と姑の対立を描いたドラマが
記憶にないということである。

私は一人っ子で育ってきたので、
主人公に兄弟または姉妹がいるという設定は
いつも魅力的に見えてしまう。

さて、次の連続テレビ小説は、『マッサン』以来の
北海道が舞台となる作品なので楽しみではある。
ただ、北海道弁は、役者にとっては厄介かもしれない。
当の道産子が方言だと意識しておらず、アクセントも
微妙に標準語と違う点があるらしいからだ。

3月25日から4日間に渡って放送された『ひよっこ2』
2番煎じは面白くない、との評判も有る中、私は好意的に見ていた。
特に、第3話のラストで放送された一部分については、
無理ではないものの、かなり厳しいからである。

そして、このドラマに限ったことではないが、
次男や次女に風変わりな性格の方を設定してしまうのは、
なぜなのかとも思った。
一概にこのような方ばかりではないようにも感じたからである。

1983年4月から続いてきたSTVラジオの看板番組
日高晤郎ショーの放送が
2019年3月23日を以て終了した。
土曜日の午前8時から9時間連続で放送されるという番組であった。
しかも、観客を迎え入れるというスタイルまで取り入れていた。
放送当時としては、画期的な番組であったのではないか、とも思う。

私がこの番組を始めて聞いたのは、1984年。
実は、ピアノを習っており、母が息子の私を待っている間、
車の中でラジオを聴いていたのであった。
(1984年当時、ピアノの先生の自宅は、山の手の西区にあった)
その頃の午後4時台には、日高晤郎さんの朗読が放送されており、
それから一時期は受験などで聞けなかったものの、
2000年に札幌に戻ってきてからは、ほぼ毎週のように聞いていた。

2018j年4月3日に、日高晤郎さんが永眠し、
この番組はどうなるのかと思ったが、1年間延長される運びとなった。
1年間続けて戴いたことに、「感謝の気持ちを忘れてはならない」
とも思った。(特に、Yアナウンサーには感謝してもしきれない)
その1年間で、新たな日高郷朗さんの名調子(名ゼリフ?)を
知ることも出来たからである。

さて、日高晤郎さんと言えば、北海道内では好き嫌いが分かれる
激しい性格の人でもあった。
私は、STVホールを公開した時に、
何度か放送を聞きに行ったことはある。
そして、私が公開放送に出向いた時には、
何故か同じことを言われていた。
その内容は、「年を取ることを楽しみなさい」
というものであった。

結局、日高さんとお話しすることはままならなったが、
私にとっては一番印象に残っている言葉である。
そして、この言葉は、就職や転職がなかなか決まらない私にとっては、
活力となっている。

最後に、「日高晤郎ショー」スタッフの皆様、お疲れ様でした。

本日のブログはタイトルの通り。
今回の訪問地は、地元の方には申し訳ないが、
少子化の影響が如実に表れていた。

また、テレビからは、
ゲストの悪戦苦闘ぶりも伝わってきた。
ちなみに、この日のゲスト、
私より年下ではあるものの、
私にとっては敵わない方である。
(ちなみに、私もゲストと同様の
スポーツ経験がある)

例によって例のごとく連続テレビ小説『半分、青い』の感想。
最終回を見て、なるほどこういう結末にしたかったのか、というのが分かった。
ただ、噂によるとm今回の脚本家は、今回のドラマに限らず、
結果として類似したような結末になることが多いらしい。

そしてもう一つ、主人公の名前について。
最初は正直に「なぜ鳥の名前?」とも思ったが、
鳥の名前だから、色々な難関が待ち受けていて、
最後は落ち着くところに落ち着いたのか、とも思った。

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