From Sapporo -道産子のブログ-

カテゴリ: 自然科学及び情報科学

台風19号の被害に遭われた皆様、お見舞い申し上げます。
昨年の北海道胆振東部地震の時に、(別のブログでしたが)、
何名かの方からお見舞いをいただきましたので、
せめてものお返しをさえていただきたく、ブログに記しました。

早く復興されることを心からお祈り致します。


令和元年9月6日に公開したブログの続きを記す。
札幌市清田区の今の現状である。

あまり放映されていないが、実は
美しが丘地区のおいても、地震によって液状化現象が起きた。

私は、仕事の都合上、毎月1回里塚を訪問していて、
その里塚の隣が美しが丘なので、
美しが丘1丁目付近の現状をバスの中から眺めることができる。

TVで放映されている里塚と比較すると、
一見、復興が進んでいるように見えるが、
あくまでもこれは見えるだけである。
つまり、美しが丘にも未だに傾いた家があり、
ロープは貼られているものの、
解体作業すら行われていないのである。


北海道胆振東部地震から1年が過ぎた。
朝の3時台に突然の地震で目が覚め、
その後、母がテレビを付けたのだが、
そのテレビがいきなり切れた。

札幌市中央区の私が住んでいる辺りは、
停電が次の朝の8時40分頃まで続いた。

私は、食料品の調達に出ており、
結局10時30くらいまで帰らなかった。

今、携帯電話が主流となっているが、
いざという時には、通じないことだってある。
このパソコンも含めて、文明の力に頼り過ぎると、
痛い目に遭う。
そのことを肝に銘じて過ごしていきたい。

時間の経過は早いもので、
北海道南西沖地震から
26年の歳月が流れた。

当時、私は網走にある大学の1年生で(2年ほど浪人)
親元を離れて生活していたため、
テレビは敢えて置いていなかった。

そのため、ラジオで惨劇を聞き、
新聞で更なる惨劇を見ることとなった。
何年か後にこの南西沖地震がドラマ化され、
そのドラマを見た時は、何とも言えない気持ちになった。

この地震については、つい最近まで、
全国ニュースで取り上げられることは少なかったが、
一昨年くらいから、毎年のように取り上げられるようになった。

改めて、北海道南西沖地震で犠牲になられた方々の
ご冥福をお祈りいたします。

甚大な被害をもたらした西日本豪雨から
1年が経過した。避難生活を余儀なくされている方々や
自宅には戻れたものの、家族が犠牲になられた方々、
あるいは、家族は犠牲になられなかったものの、
家屋が甚大な被害に見舞われた方々のことを思うと、
なんて言葉をかけたらいいのやら、と正直に思う。

新札幌にある青少年科学館
惑星探査機「はやぶさ2」の展示を
令和元年5月6日まで行っているとのことだったので、
仕事の合間を見ながら、1日前の5月5日に足を運んだ。

青少年科学館には、久々に足を運んだが、
はやぶさ2については、内容はニュース等で語られたものしか
展示していなかった。
一方、前探査機の「はやぶさ」についても、
太陽系について展示してある別の場所で、
説明があった。

そして、プラネタリウムで見た「はやうさ2」の映像は
迫力満点であり、この映像が一番分かりやすかった。

この青少年科学館では、このように地学が関わっていたり、
物理、化学の展示が多数を占めているのだが、
なんと生物の展示もあった。
しかし、その内容は、減数分裂など
生命に関わることとは言え、複雑怪奇であった。

一連の熊本地震から
3年が経過した。熊本産の食品などを購入して
少しでも、熊本の復興に役立てたい、とも思うのだが、
札幌では、あまり熊本産のものが販売されていない。

物産展や、特別販売で見かけるのは、食品では、
いきなり団子のみ。
たまに、馬刺しが販売されることもあるが、
高すぎて手が出ない。
ほかには、くまもんグッズ
子供さんなら喜ぶのだろうが、
私自身は、彼女すらいないので、結婚もしていないし、
当然のことながら子供もいない。

そのため、熊本産の物産品を購入できない状態にある。
どこかで絵葉書でも販売されていれば、
速攻で購入しに出かけるのだが………。

時の経過は早いもので、東日本大震災から
8年目を迎えた。福島の原発事故も同日に発生した。
かつてないほどの犠牲者を刺したこの震災については、
テレビなどで現状を見るたびに、声を失ってしまう、

改めて、犠牲になられた方々のご冥福をお祈り致します。

私は、現在、生活できるだけの給与に至っていないため、
転職を希望している。私が希望するのは、講師職であるが、
この職種では、決まって「主要5教科の総合問題」という形式で
試験が行われる。しかも、書類選考や面接の前に、である。

会社や塾によって試験の形式は違うが、
これが意外と難しい。特に理科と数学を組み合わせたかのような問題が厄介である。
まだ国語と社会を組み合わせた問題の方が易しく見えるのは、
文系の大学院(修士課程)を終了したからだろうか?

私が毎年のように欠かさず行っていること。
阪神大震災の当日に行う黙祷である。
今年もこの日がやってきた。
当時、私は網走に住んでおり、敢えてテレビは置いていなかった。
よって、当時の状況は新聞の映像で知るのみだった。
網走では朝刊の配達しかなかったため、
実際に被害の状況を知ったのは、翌日である。
改めて被害に遭われた方々の
ご冥福をお祈りいたします。

9月26日は、台風によって洞爺丸沈没事故が起きた日である。
当時、国鉄に勤務していた母方の祖父(平成7年に死去)が、
この事故によって、謝罪に飛び回っていたらしい。
(この頃、青函連絡船は、国鉄が運営していた)

母の話によると、この事故で
七重浜の周囲にいたジャコが
普通のジャコより一回り以上
大きくなってしまったらしい。
(ネット上ではふさわしくないことなので、
理由は想像に任せたい。)

2018年9月6日、午前3時08分北海道胆振東部地震発生。
最初テレビが付いていたが、5分後に大規模停電。

停電の影響で、信号が止まり、全ての交通機関が運休。
我が家はマンションなので、各部屋の居住者が、
管理人室から水をもらう。
エレベーターが使えないため、階段で運ぶ。
夜は懐中電灯で暮らし、夕食後に早く就寝。

9月7日。朝早いうちはまだ電気が付かず。
ラジオにて食料品の不足が見込まれるとの
情報を得たため、買い物に行く。
朝の食事の前に行ってみたが、
商品の調達が出来なかったため、
朝食後に再度調達に。
コンビニエンスストアは既に品薄。
また、近くのスーパーも並んでおり、
いつもは母が買物をスーパーへ。
(私は店内が狭いため、滅多に利用しない)
約1時間30分待ってようやく調達。

私がいる札幌市中央区は、
8時40分頃に電気が回復。
ただ、札幌市では清田区が液状化した。
(家の一部が斜めに傾いている)
また、震度5弱の地震があった北区では、
未だに信号が停止しているらしい。

最後に、今回改めて被害に遭われた
皆様には、お見舞い申し上げます。
そして、残念ながら、ご家族を亡くされた皆様、
言葉がございません。

平成5年7月12日、午後10時17分、
北海道南西沖地震発生。
本日、この震災から25年目を迎えた。

私は、震災というと、まずこの地震のことが頭によぎってしまう。
もちろん、阪神大震災や東日本大震災も決して忘れているわけではない。
だが、奥尻島の青苗地区が壊滅状態となった写真を新聞等で見ると、
今でもショックを隠せない。

当時網走の大学に通っていた私は、
敢えてテレビを置かない生活を送っており、
ラジオや新聞でしかこの当時の状況を知ることができなかった。
その後、札幌に帰省した際に、ドラマを見て
更なるショックが襲いかかった。

今にして思えば、大変危険と思われる行為を
家族を死なせてはならないとばかりに、
やってのけた男性の人がいらしたからだ。

マスコミなどの報道を見ていると、
太平洋側で大震災が起きる確率が高いことが
報道されているが、日本海側はどうなのかな?
と思うこともしばしばある。

最後に、北海道南西沖地震を含め、
各震災で犠牲になられた方々のご冥福をお祈りします。

各地で豪雨の被害に見舞われた皆様、
お見舞い申し上げます。

私は、自然災害で、人を失った経験がないため、
ご家族の方の心中までは、察することができないと思います。

しかしながら、いても立ってもいられず、
ブログにて公表させていただきました。

私が住んでいる札幌市内でも、
今年は桜の開花が例年より早かったためか、
既に、桜は散り始めていた、。

例年なら、ゴールデンウィークの頃に
満開になるので、桜前線のスピードが
異常に早かったと言っても過言ではないだろう。

ちなみに、私は
北海道では梅と桜が同時に咲く
と教えられた世代。
さて、翌年はどうなることやら………。

熊本地震から2年が経過した。
ただ、今でも信じられないのは、
4月14日に起きた地震が、
いわゆる本震ではなかったということ。
そして、2日後の4月16日に、
再び大地震が発生したことである。

熊本県内には、母方の従兄が住んでいるので、
母が状況を確認したところ、
中央部から離れていたためか、
軽傷で済んだらしい。
だが、実際に50名ほどの犠牲者が出ているので、
その方々のことを思えば何とも言えない気分になる。

改めて、犠牲になられた方々の
ご冥福をお祈り申し上げます。

月日が経つのは早いもので、
東日本大震災
福島原発事故
から7年の月日が経過した。

私は、今も健在の母と原発事故や大震災を巡って、
マスコミの在り方について、議論になる。
私は、マスコミは「中立性を保つこと」だと考えており、
本来であれば、左派にも右派にもなってはいけないはずだ、
という気持ちが根強い。

それに対して、母は「マスコミは正しいことを伝えるもの」という
認識が強いらしい。

どちらが正解なのか、あるいはどちらも正解なのか、
私には分からない。

阪神大震災のt時と同じく、犠牲者に黙とうを捧げたいと思う。

2018年もまた、
阪神淡路大震災
の日がやってきた。

私は、当時、大学生で網走に住んでおり、
オホーツク地域では、夕刊の配達が無かった。
そのため、次の日の朝刊で新聞を見たのだが、
あまりの衝撃に言葉を失った。

なお、地震発生時刻の5時46分、黙祷を捧げました。
ちなみに、黙祷後に合唱されていた曲は、
昨年、奥尻島の方々も歌っていました。
(こちらは今年25年目を迎える)

改めまして、
阪神淡路大震災で被害に遭われた方々には、
お見舞い申し上げます。
そして、亡くなられた方々には、
ご冥福をお祈り申し上げます。

月日が経つのは早いもので、あれから24年も経ったのかとも思う。
そう、北海道南西沖地震である。

改めて、当時の映像を見ると、胸が締め付けられる。
そして、自然の力はおっかない、という印象も持たずにはいられない。

もし、野原や駅まで呑み込んだ東日本大震災級の津波が
再び奥尻島を襲ったら、あの防潮堤が持つのが、少し心配である。

月日がたつのは早いもので、
熊本地震から1年が経過した。
まずは4月14日に、確かその2日後に2度も巨大地震が起きた。
しかも最初の震災が前兆だったというから驚きである。
そして、歴史好きの私は、歴史的建造物である熊本城の映像にも
かなりのショックを上kた。

被害に遭われた皆様のご冥福とご心痛思うとなんて声をかけたらよいのか分からないのが、
私の今の心境である。

私はこの日を忘れることができない。
東日本大震災が起き、
福島の原発事故にも繋がったからである。

ただ、私は津波の映像というと、
1993年7月12日に起きた北海道南西沖地震
津波の映像も思い出してしまう。

これらの映像は何度見てもショックを受ける映像で逢った。
震災が起きた14時46分、例によって黙とうをした。
改めて、震災で犠牲になられた方々の冥福をお祈りいたします。

本日は、昭和20年に東京大空襲が起きた。
母の叔母も命を落としたらしいが、結局は遺体が見つからなかったとか。
改めて、戦争の恐ろしさを思い知らされた。

何度かブログに書いているが、2月10日に起きた出来事で
思い出されるのは、豊浜トンネル岩盤崩落事故
20年以上前のことなのに、鮮明に記憶に残っている。

おそらく、新聞記事に掲載された写真が、衝撃的だったのだろう。
岩盤と天井の違いはあれど、この事故の教訓があれば、
笹子トンネル天井板落下事故
は、起きなかったような気もする。

このところ、教訓を生かし切れていない事故が頻発するのは、残念である。

2017年1月28日に放送された
『週刊ニュース 深読み』後半の感想。

本日のテーマはあまりにも深く、
私自身はどうにもこうにも結論付けることができなかった。

ただ、コンピューターに限らず、
便利を求めると、何らかの弊害が起きる
ということだけは確かだと感じた。



2016年は、自然災害があまりにも多かったような気がする。
大地震が3件(熊本県、北海道函館市、鳥取県)。
熊本県には、二度も大地震が襲ってきた。
そのために、土砂崩れが起きて犠牲になった方々もいらっしゃった。

台風が2軒(主に北海道と岩手県)。
北海道の場合、台風が上陸するとしても太平洋側の方が多かったので、
まさか北海道のへそと言われる場所を中心に大きな被害をもたらすとは思わなかった。
この地震と台風が起きた一部の地域では、未だに一部の交通機関が寸断されている。

最後は新潟県ほどいかないものの豪雪である。
12月10日には、この豪雪によって札幌市の公共交通機関は乱れに乱れ、
それが翌日まで続いた。
2017年は少しでも自然災害が減少して欲しいものである。

2016年度は、本州を中心に、ツキノワグマ出没及び、ツキノワグマによる人的被害のニュースが
相次いでいたが、その一方でヒグマ出没のニュースは、あまり聞かないと思っていた。

しかし、出没していないからと言って、安心してもいられないとも感じた。
札幌市では、5年前のちょうど今頃、ニュースなどで大々的に取り上げられたこともあるからであり、
過去には、ヒグマによる食害も起きているからである。

昨日の『どさん子ワイド』で取り上げられたニュースを聞いて、そんなことも感じた。
ちなみに、タイトルにもある通り、ヒグマはツキノワグマよりも危険である。
熊に遭わないようにする対策はもちろんだが、このような野生動物に対しては、
決して餌付けしてはならない。


タイトルの通り、
台風の被害に遭われた皆様、お見舞い申し上げます

本来、台風は北海道に来る前に温帯低気圧に変わっていることが多く、
台風の被害を受けることは、あまりない。
ところが、2016年は8月31日に現在で4つもの台風が上陸し、
道東を中心に同じ場所を通るということが繰り返された。

川が氾濫して、家が流されているのが映し出された時は、なんとも言えない気持ちになった。

本日7月12日は、
北海道南西沖地震が発生した日である。
阪神大震災東日本大震災
と比較すると、規模は小さいものの、
それでも衝撃を受けた。

著作権の関係で、詳細は触れることができないが、
旅行番組などで奥尻島を訪問した方々が、
津波の衝撃を目の当たりにして、ほぼ無口で帰って行くところを見ると、
何とも言えない感覚になる。

本日は、犠牲者の冥福をお祈りしながら過ごす。


先日、久々に算数チャチャチャという曲を聴き
今現在の数学の学習指導要領がどうなっているのか気になって調べてみた。

その結果、思わぬことが判明した。
私が習った学年よりも1年から2年、習う単元が遅くなっているのである。
著作権の関係で、この曲の歌詞は省略するが、
一番の歌詞に書かれていた内容は、確か中学1年生の教科書に掲載されていたし、
2番に至っては、中学3年生で覚えた記憶があるからだ。
ただし、放映されていない3番の意味は、未だに良く理解できていない………。

ちなみに、私より5年先輩の従兄の時代は、
小学校高学年で負の数を学習していたらしい。
ということは、数学の学習指導要領は、
生徒の出来に合わせて、だんだん易化していったのかも知れない。
私のように応用編に苦労していた人が、だいぶ助かっていたのは
紛れもない事実である。

私は、かつて、
コンピュータブログラムを勉強しても、
プログラムが苦手な人にとっては、何の効果もないと思っていた。
今、その原因を探ってみると、いきなりC言語という
難しいプログラムから入っていったために、ついていけなかったのかもしれない。

しかし、このように逃げてばかりいると、
いつかまた勉強せざるを得ない日がやってくる。
私のように、文系大学を卒業した者にとっては、
情報処理技術者試験だけで問われる基礎的なプログラム言語や
事務処理として必要なCOBOLの勉強は、
就職活動や転職活動をするうえで、
しておいた方が良いのではと思っている。

今現在でも、「コンピュータプログラム」が好きになったとは言い難い。
ただ、プログラムの勉強が苦にならなくなったことだけは確かである。
おそらく、フローチャートを描くことが億劫にならなくなったことと
関係あるのではないだろうか………。

ちなみに、コンピュータプログラムについては、
情報処理分野だけでなく、
法律分野に関わってくる。
詳細は、某試験終了後か合格発表後に
記す予定である。

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